判例コラム
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第56号 東日本大震災で被災した高次脳機能障害を持つ方の保護義務は誰にあるのか? 

~仙台地裁平成27年3月26日判決※1

文献番号2015WLJCC017
虎門中央法律事務所大阪事務所※2
弁護士、ニューヨーク州弁護士
苗村 博子

1.はじめに

東日本大震災の後の津波、原発事故に関するコラムを本欄でいくつか書かせていただいてきた。初めてコラムを書いたときには、私はまだ被災地にも行ったことがなく、実感を持って、事実を追うため、地図を何度も見返した。
大震災から4年半、この1年間のうちに図らずも、ある事件に関連して、仙台空港から、福島を訪問する機会を得た。仙台空港近くにまだ広がる空き地、福島に並ぶ仮設住宅、復興はまだまだ端緒についたばかりと思わせられる。その出張の時に、大震災に遭遇した際に、仙台空港に近い仙台工場のトップであったという人と話したが、大勢の人の命を預かる者として如何に対処すべきかの判断は、本当に難しかったと教えてもらった。その人の判断で同工場では、全員が敷地内(工場の外)で寒い中数時間の待機をしたが、工場は、津波の被害を免れ、従業員の全員も無事であった。しかし、帰宅指示を出していたら、空港近くに住居を持つ従業員がどうなったかと思うと、あの指示で、良かったんだなとやっと今は思えるとのことである。2014年第24号コラム※3で、園庭で長く園児達をまたせたあげく、津波が80メートルまで迫ってから、園側は待避を命じたが、津波に追いつかれ亡くなった2児のお子さん達のご遺族の損害賠償請求が棄却された事件について論じたが、上述のような話を間近にきくと、生死を分ける判断もとっさのことで、いずれが正しい判断だったのか、後になってみないと分からない本当に困難なものだったことに改めて思いを致す次第である。
本件は、高次脳機能障害を負われた方が、東日本大震災の被災から12日後に川に転落されて溺死された事件であるが、やはり、この事件も、被災に関連する事件だと実感させられる。これまで私がコメントしてきた事件の被害者は、幼稚園児のお子さん、原発事故で鬱病に罹患された方など、様々であるが、いずれも、かような危急時の弱者といわれる方が多かった。事故は一つたりとして同じものはなく、ひとくくりにしてしまうことは大変危険であるし、また被害者の方に失礼であることを承知で申し上げると、その中に、本件の被害者の方も含まれるのではないかと思われる。障害を持ち、自らの判断で避難生活ができない、または、困難な方々の天災発生時の保護について、一体誰がその方の保護義務を負うのか、親族なのか、事実上、その方を預かっていた施設なのかを本件は問うている。震災後の混乱の中で、取り残されるのは、子供や老人、病人だけではなく、障害を持つが故、避難行動が難しい方も含まれる。本件では、誰がかような方を保護するべきか、親族と事実上保護をしていた施設の意思疎通の不備が招いた、不幸な事故、私には、いずれにも責任のない、不慮の事故であったのではないかと思われる事件である。
前置きが長くなったが、それでは、事件の概要を見ていこう。

2.本件の概要

本件で川で溺死されたVさんは、被災された当時ほぼ50才、大震災の2年前に脳出血から、失見当識、記憶障害等の高次脳機能障害を発症されていた。翌年、Vさんの奥様が亡くなられ、両名のお子さんである震災当時17才の原告X1、14才の原告X2がVさんの面倒を見ていた。X1、X2が学校に行っている間、Vさんは、高次脳機能障害者の自立支援事業を行う特定非営利法人である被告Yの通所施設であるbの施設に通所していた。尚Yとの通所による自立訓練契約は、X1、X2の未成年者後見人に就任していた奥様の兄のX3がVさんの代理人として行っていた。
Vさんは、Yのbの施設に通所中に被災し、Yの職員らとともに仙台一高に避難し、その後Yの本部であるaの施設に移って、避難を続けていた。原告らX1、X2、X3はこの間Vさんを引き取らず、預けたままにしていた。X1、X2は、被災当日等は友人、親戚宅等に避難していたが、その後自宅に戻っていた。被災から12日目にあたる3月23日に、Vさんは一旦帰宅し、その後X1の卒業式に出席し、再度aの施設に戻ったが、Yは、その晩、Yの行っている共同生活援助の為のグループホームcの施設にVさんを移し、それまでと異なり、施設担当者が同泊しない状態で、かつ施錠せず、Vさんを宿泊させたところ、Vさんは、日付が変わった頃、徘徊されたのか、川で溺死してしまった。尚、このcの施設へのVさんの移動、職員の付添いがないことについては、YからXらには伝えられなかった。

3.争点

(1) Yに契約上の保護義務があるか?
本判決は、YのVさんへのサービスが、Vさんが通所しての自立訓練であったこと、事故や天災時には、X3が緊急連絡先とされ、早くサービスを終了させることなどが定められた契約上のサービス内容であったとして、被災時義務としては、身体の安全を保護し、Xらに速やかに連絡し、Vさんを引き渡す義務があったが、XらがVさんを引き取るのに相当な期間を超えてもVさんを引き取らない場合には、この被災時義務は、消滅しているとした。
YがVさんに提供する義務は、あくまで通所しての自立訓練をさせる義務であって、Vさんの扶養義務を有するXらがすでに自宅での居住を再開できていたにもかかわらず、Vさんを引き取らなかったのであるから、Yに契約上の不履行がないとする、本判決の判断は正しいと考えられる。

(2) 事務管理者としてのYの保護義務
次に争点となったのは、現実には、XらがVさんを引き取らなかったため、Vさんは事実上、Yの保護下にあったことから、Yに事務管理者(民法698条)として、Vさんを保護し、Vさんの安全について、責任を負うべき者に引き渡すまでは善管注意義務を持ってVさんの保護を継続すべき義務があったかであった。Yは、Vさんを事実上保護下においていたことは、これが、緊急事務管理にあたり、善管注意義務ではなく、悪意、重過失以外は責任を負わないと主張した。しかし本判決は、aの本部のあった地域は震災から10日ほどを経た、同時期にはすでに震災直後の混乱は収束しつつある一般的な状況にあったと認められ、またaの施設からcの施設にVさんを移動させたのも、急迫の危険を免れさせるためでなかったとして、Yのこの主張を退けている。この判断の是非の前提として、本判決で最も分からないのは、何故、YがVさんをaの本部からcの施設に移るようにしたかが、明確に認定されていない点である。裁判所が、この点を重要な事実と考えなかったか、当事者が十分な主張をしなかったのかははっきりしないが、この理由によっては、Yの主張も十分に通り得たのではないかと思われる。

(3) 保護義務違反の有無
そして、過去にVさんが徘徊したことをYの職員が知っていたこと、急に場所を変えられると、Vさんが一人で夜間外出してしまうことについては十分に予見可能であり、また不案内な場所をさまよい歩いて、生命、身体に危険を及ぼし得る場所で事故に遭遇することも予見できたとした。
そして、Yとしては順次通常の体制に戻していく必要があったとしても、Vさんをすぐにcの施設に移し、職員の付添いなしに同施設に宿泊させる以外に手立てがなかったという事態ではなく、この事態は回避できたと判断し、Yの事務管理者としての善管注意義務を認めた。

(4) 過失相殺
但し、Vさんの親族として、Vさんの引取りが物理的に不可能な時期は、致し方ないとしても、それが過ぎた後は、Yと積極的にいつどのような方法により、Vさんを引き取るかの見通しを立てられるよう、適切に配慮すべき義務があったにもかかわらず、一度もYに連絡をせず、3月23日のX1の卒業式の際には、直接Yの職員と協議する機会があったが、これをせず、また、Vさんを引き取ることもしなかった。これらのXらの行動がYを困惑させるとともに、Yの注意義務違反を招来した側面を否定しがたいとして、全損害の50%の過失相殺をした。

(5) 損害
Xらは、Vさんが就労可能な状態に戻るとして損害額を計算、主張していたが、本判決は、Vさんの就労復帰は不可能であったとして、Vさんの年金受給額を元に逸失利益を算定し、これにXらが受給した遺族年金を損益相殺して、損害額を算定した。

4.本件判決の持つ問題点

本件は冒頭申し上げたように、Vさんの事故は、痛ましい事故であったが、いわば不可抗力によるもの、従って施設に責任はないと判断しても良かった事件ではないかと考える。これを50%とはいえ、施設側の責任を認めた背景には、X1、X2が未成年の子供さんであって、引取義務があるにもかかわらず、なかなかこれに応じられなかった点を判決が配慮したためと思料する。しかし、あの大震災からの被災後わずか10日間で、事実上保護していたにすぎない施設に万全の体制を持って保護を継続すべきとの本件判断は、厳しすぎるように思われる。東日本大震災だけでなく、以後も日本は各地で自然の猛威による天災にさらされている。かような判断が続けば、事実上の保護の継続に対する萎縮効果を生むことが懸念される。すなわち、施設側としては、なんとしてでも扶養義務者の下に障害を持つ方を帰し、その後の通常のサービスの提供を拒むのではないかという問題が起こりえるように思う。仮に事実上保護している施設に事務管理者としての保護義務を認めるとしても、緊急事務管理として、悪意、重過失の場合のみ、責任を認めるという柔軟な考え方が必要だったのではないだろうか。

(掲載日 2015年10月5日)

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