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判例コラム
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第51号 氷見冤罪国賠請求事件が司法に問うこと 

~冤罪被害者は、二度の責め苦を負わされる~

文献番号2015WLJCC012
専修大学法科大学院教授
弁護士 矢澤昇治

1.はじめに

(1)氷見冤罪事件 2002年、富山県氷見市で強姦、同未遂事件が起きた。同年4月8日朝、突然6人の男が当時タクシー運転手だったXさんの職場に来て、任意同行とも言わずに氷見署に同人を連行した。署は、15日から3日間任意で朝から晩まで事情聴取した。取調官は、Xさんが失神しているうちに財布の中から母親の写真を引き出し、「お母さんが泣いているぞ」などと脅し、朦朧としているうちに、「ハイ」と自白させられ、強姦未遂容疑で逮捕された。Xさんは逮捕後一旦容疑を否認したが、後に再び犯行を認めるようになる。その背後には、警察組織によるXさんに対する恫喝的で誘導的な取調べの実態があった。Xさんは両事件で起訴され、同年11月27日、富山地裁高岡支部は、Xさんに懲役3年の実刑判決を言い渡した。Xさんは控訴せず、有罪判決が確定、以降Xさんは2005年1月13日に福井刑務所を仮出所するまで服役した。
ところが、出所後の2006年11月、別の強制わいせつ事件で鳥取県警に逮捕された無職の男が、氷見で発生した事件への関与について自供し、それを裏付ける証拠も存在した。その結果、2007年1月、Xさんを誤認逮捕したこと、冤罪事件であったことが明らかとなった。
(2)再審事件 同年2月9日、富山地検高岡支部は、富山地裁高岡支部に対してXさんの再審請求をした。同年10月10日、富山地裁高岡支部は、Xさんに対して無罪判決を言い渡し、逮捕から約5年の時を経て、Xさんの無実が証明された。
(3)国家賠償請求事件※1, 2再審無罪が確定したXさんが、国や県などに計約1億4000万円の損害賠償を求めた訴訟が本件である。富山地裁の阿多麻子裁判長は、県警の取調べに違法な点があったと認定し、県に約1966万円の賠償を命じた。しかし、国、取調べを担当した警察官ならびに起訴した検察官個人への請求は、棄却した ※3
この判例コラムでは、第1に、氷見国賠請求事件の争点に対する判決の内容を取り上げる。判決が認めた富山県警の取調べの違法性、原告側が主張したが認められなかった諸点についてである。第2に、無罪判決の確定に伴う刑事司法手続の違法性、第3に、なぜ冤罪犠牲者が立証責任を負わなければならないのか、第4に、加害公務員個人の賠償責任について論評し、最後に、本件国賠訴訟から読み取れるわが国の司法の在り方について、批判的な概括をすることにする。

2.氷見国賠請求事件の争点に対する判決の内容

(1)本件における争点 本件では、9つの争点がある。
1)被告県及び被告警察官Y1の違法として、①本件警察官らは、本件各被害者を誤導し、原告を犯人として識別させたか(争点1)、②本件警察官らには、原告の犯人性を否定あるいは減殺する消極証拠を無視し、又は、過小評価した違法があるか(争点2)。その内訳として、(ア)本件通話履歴、(イ)本件引き当たり、(ウ)本件各足跡痕、(エ)凶器及び緊縛道具、(オ)本件血液型鑑定・DNA鑑定の不実施、(カ)毛髪、指紋がある。③被告Ylによる取調べの違法(争点3)。その内容として、(ア)被告Y1は、原告に対し、罵倒、恫喝、暴行、脅迫、偽計などの手段を用いて、自白を強要する違法な取調べを行ったか。(イ)被告Y1は、不当な誘導により虚偽の警察官調書等を作成したか。④本件警察官らが、8月事件発生後に再捜査をしなかったことに違法性があるか(争点4)である。
2)被告国の違法として、⑤被告検察官Y2は、過度の誘導あるいは誤導による取調べを行って虚偽自白を作出し、虚偽の検察官調書を作り出したか(争点5)。⑥公訴提起及び公訴維持の違法(争点6)、⑦)被告Y1は、損害賠償義務を負うか(争点7)。⑧被告Y2は、損害賠償義務を負うか(争点8)、⑨原告の損害の額(争点9)、である。
(2)本判決は、これらの争点のうち、(争点3)の(イ)被告Y1は、不当な誘導により虚偽の警察官調書等を作成したか、(争点7)の被告Y1は、損害賠償義務を負うかについて積極的な判断をし、(争点9)原告の損害については、刑事補償金1005万円を全損害賠償金から控除した約1966万円余を認めたにとどまる。そして、本判決は、これらの判断のうち、不当な誘導により虚偽の警察官調書等を作成したかという争点については、警察官が、単に自分が捜査資料により知っている情報を提示して質問するだけでなく、自分が意図する答えが被疑者から返ってくるまで、同じような形の質問を続けて確認を求める手法(『確認的』取調べ方法)により、警察官調書、上申書、靴の図面、本件各被害者宅見取図、犯行再現に係る報告書が、いずれもそこに記載された犯行状況の主要な部分に係る情報が得られたものであると認定した。
本判決が被告県の違法性を認めたのは、わずかにこれらの争点についてのみである。しかし、被告県の違法性は、争点2ないし4に記載されたように、県の捜査には、作為と不作為に、多くの、いや争点1ないし6の全てについて違法性が存在したはずである。なぜなら、本件は、無辜のXさんを犯人に仕立てるために証拠を作出し、無罪を証明するはずの証拠を隠蔽したからである。ところが、本判決は、捜査の過程で、犯行時間に重なるように、被疑者が兄に電話を架けていた通話履歴がアリバイとして存在したがこれを無視し、また、被害者宅に真犯人から電話が架かってきたとされたが、その発信先も調査せず、足跡痕は被疑者のサイズと異なる靴の長さであるにもかかわらず、その違いを軽視したことなどの違法性をことごとく無視した。そして、血液型鑑定・DNA鑑定が実施されるべき、精液、毛髪ならびに指紋にかかる鑑定についての不実施の違法性についても、これを認めていない。富山県警は、これらの鑑定を実施したが、被疑者の血液型とDNAが一致しなかったので、検体が少量でこの鑑定ができなかったと虚偽の報告書を作成したに過ぎないことは、当時の科学技術の水準を考慮すれば自明であった。そして、本件は、そもそも冤罪再審無罪事件であり、物証も被疑者と無関係のはずであり、書証も全てデッチ上げられたものに他ならない。
結論として、本件の裁判官は、意図的か否かを別として、本件国賠訴訟の大前提が富山県警によりデッチ上げられた組織的な冤罪にかかる再審無罪事件であることを見誤り又は見逃し、警察官による違法な逮捕、拘留、取調もしくは誤認逮捕などの個別的な違法性の判断が求められる事件と同種であるかのように判断しているのである。本判決は、この意味で内容に乏しい判決であると言わざるをえない。それ故、以下では、本件で否定された検察官による公訴提起と捜査の懈怠の違法性について言及する※4

3.無罪判決の確定に伴う刑事司法手続の違法性はどのように判断されるのか

(1)無罪判決が確定した場合における検察官による公訴の提起やその追行の違法性の判断基準については、大別して結果違法説と職務行為基準説の二説がある。  
結果違法説は、論者により多少説明に違いはあるが、公訴提起・追行が結果的に妥当といえなかったことから、国家賠償法の見地より違法と解すべきであるとし、国が公訴提起・追行に客観的に合理的な根拠があったことを立証した場合に違法性が阻却されると説くものがある※5 。この学説は、本件のような冤罪国賠訴訟の場合には、違法性が阻却されるのは、国が公訴提起・追行に客観的に合理的な根拠があった立証責任を果したときであるとすることも極めて合理性を有すると解される。
これに対して、職務行為基準説は、無罪の判決が確定したというだけで直ちに公訴の提起・追行が違法となるということはなく、客観的に犯罪の疑いが十分にあり、有罪判決を期待し得る合理的根拠があるかぎり、公訴提起・追行に違法性がないとするものである※6 。実務は、古くから職務行為基準説によるものが多く、昭和27年に起きた、北海道・根室本線が爆破されたいわゆる「芦別事件」の国家賠償請求事件で、最高裁が職務行為基準説をとることを明確にして以来 ※7、その後の裁判例は、すべてこの職務行為基準説に従っている ※8
職務行為基準説を採る場合の公訴提起の違法性の判断基準と判断手法についても、判例と学説は分かれている。詳論は避けることとするが、検察官が逮捕状の請求、逮捕状に基づく逮捕、勾留請求、公訴提起のいずれについても、証拠の評価を誤り、有罪判決を期待できる合理的な理由がないのに、公訴を提起した場合に、公訴提起は違法となるとするのは、合理的理由欠如説である。芦別国賠訴訟、沖縄ゼネスト訴訟ならびに那須国賠訴訟において、最高裁は、この見解を採用していると理解される※9 。合理的理由欠如説によることだけを判示する判例もある※10が、合理的理由欠如説の当てはめにおける判断手法も判示するものもある※11 。その他の見解として、一見明白説(証拠資料等を評価するにつき、通常考えられる個人差を考慮してもなお一見して到底その判断の合理性を是認することができない程度に重大な瑕疵がある場合に違法と判断されるとする)、違法限定説(公務員が違法・不当な目的をもって敢えて当該行為をした場合に限り違法と判断される)がある※12
(2)本判決も前記芦別国賠訴訟事件の最高裁の判例に従い、この説に立つ旨を明言している。また、「本件各公訴提起時に被告Y2が現に収集した証拠資料及び通常要求される捜査を遂行すれば収集し得た証拠資料を総合勘案すれば、合理的な判断過程により原告を有罪と認める嫌疑があり、被告Y2が本件各公訴提起をした判断が、法の予定する一般的な検察官の判断として、通常考えられる検察官の個人差による判断の幅を考慮に入れても行きすぎで、経験則、論理則に照らして到底合理性を肯定することができない範囲に達しているとはいえない。」と述べて、那須国賠訴訟の最高裁判決を踏襲して、この理が、上告審で確定した有罪判決が再審で取り消され、無罪判決が確定した場合も異ならないと解するのが相当であるとする。
(3)しかし、冤罪に起因する那須国賠訴訟の最高裁判決は、大いに疑問の余地がある。上告審で確定した有罪判決が冤罪を理由として再審で取り消され無罪判決が確定したときには、冤罪被害者と物・書証の間には何らの結びつきがないことが明確とされたにもかかわらず、検察官は、警察が収集した証拠資料を鵜呑みにし個別の証拠及び証拠の総合評価を誤り、客観的、合理的な根拠を欠いた起訴を行ったと言わざるを得ず、過失があったと判断されうるし ※13、また、通常要求される捜査を遂行すれば、公訴提起当時、冤罪被害者を無実としうる証拠資料を収集することができたにもかかわらず、これを懈怠したからに他ならないからである※14
(4)本件では、検察官は、原告の自白、犯人識別供述、コンバースの靴についても検査の捜査資料を十分な検討を加えることもなく採用しており、また、強姦事件であれば、犯人を特定するための最有力とされるDNA鑑定を、「『精液の量がごく微量であると推定された』ことから、A型という結果に犯人の精液が確実に影響を及ぼしているとは判断できないとして、被害者の着用していた下着に付着する人精液の血液型について不明と結論づけた」とする警察の主張を鵜呑みにして、DNA鑑定を実施しなかった。本判決は、富山県警では、強姦事件でも、DNA鑑定が「通常要求されるべき捜査」に該当しないとの主張を認め、検察官がそのような捜査を実施しなかったことが、通常要求されるべき捜査を怠ったとはいえないとするが驚くべき非常識な判断であるといいうる ※15

4.なぜ、冤罪犠牲者が国賠請求するために、立証責任を負わなければならないのか

(1)検察官による公訴提起の違法性を主張・立証する責任は、国側にあるのか、それとも、損害賠償を求める側にあるのか。本判決は、「公権力の行使が違法であることは国賠法1条1項に基づく損害賠償請求権の発生要件であるから、その違法性を基礎付ける具体的事実については、同請求権の発生を主張する者が主張・立証責任を負担すると解するのが相当である」とする。本判決は、当然のように判示しているが、大いに疑問である。この事項にかかる判例を見るに、公訴提起の違法性の主張・立証責任が国側にあるとしたのは、松川事件国賠訴訟第一審判決である※16
ところが、その後の判例を検討すると、「検察官の公訴の提起が違法であると主張して国に対し国家賠償法一条一項に基づく損害賠償を求める者は、公訴の提起が違法であったことについて主張立証責任を負担する」とされるのである※17
(2)確かに、国賠法1条1項は、「国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によって違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる。」と定める。そもそも、この規定は、戦前において、絶対主義国家体制の強力な権力服従関係のもとに、裁判官を含む官吏の違法行為により国民の人権がないがしろにされたことに対する猛省に基づき、憲法17条の「何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる」との規定を具体化するために、国家無答責の原理の放棄を明文化し、さらに、国賠法1条にその趣旨を明文化したものである。
(3)そして、公務員の客観的事実の認識の誤りについての過失に関し、指導的判例たる最判昭和43年6月27日は、昭和29年10月頃の登記官の書類審査で、登記済証にある昭和22年9月6日頃の官制と庁印の真偽を調査する義務があるとするもので、登記官に対し、非常に重い審査義務が課せられているとする※18。学説においても、古崎慶長氏のように、国賠法の規定を解釈するにあたり、国賠法の趣旨を忖度し、「故意又は過失による」のみならず、無過失賠償責任の方法への運用を説く学説も存在した。古崎氏が夙に指摘したように、公務員には一般人以上の高度の注意義務が課せられているとするものであり、被害者救済の見地から、この厳しい判例の姿勢は崩されてはならないし、これが、判例の主流となるよう実務は心掛けるべきであるとする。われわれは、同法1条を無過失賠償責任の方向に運用することに熱心でなければならない。前述の最判昭和43年の判例のように、過失の認定に厳格であることも、その一方法であるが、被害者(原告)の立証の負担を軽減するためには、「一応の推定(prima facie)の理論」を採用することも必要であろう ※19
(4)松川事件国賠訴訟で東京地裁が判示したように、国は、公訴の提起及びその維持に当って証拠上犯罪事実立証の可能性があったこと、少なくとも、証拠判断に関する個人差を考慮すれば、犯罪事実の存在が画定される可能性があったことについて立証責任を負うというべきである。
まして、いわゆる冤罪事件のように、警察が無辜の民を密室で取り調べ、自白を強要し、物証と書証を捏造し、犯罪としてまた犯人としてデッチ上げ、検察官が被告事件として公訴の提起をしたが、再審無罪判決と確定した事件においては、違法行為をなした国側が違法性阻却の立証責任があるとすることは当然である。無実の罪で、デッチ上げられその違法性が推定された行為について、虐げられた側がその主張・立証責任を負うとすることは、違法な行為を働いた側に法が助力するという事態をもたらすのである。ここには、明らかな不正義が存在する。

5.なぜ、加害公務員個人の責任が問われないのか

(1)本件では、争点8(被告Y2は損害賠償義務を負うか。)について、「国賠法1条1項は、国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によって違法に他人に損害を加えた場合に、国又は公共団体にこれを賠償する責を追わせる規定であり、公務員個人の賠償責任について規定するものではない…。よって、同項を根拠として、原告が、被告Y1個人及び被告Y2個人に対し損害賠償を求めることはできない。」と判示した。
(2)確かに、国又は公共団体が国家賠償責任を負う揚合に、これと並んで、不真正連帯債務者として、加害公務員個人が直接に被害者に対して責任を負うかについて、学説としては、肯定説(加害公務員は、軽過失の場合にも責任がある)、折衷説(故意又は重過失の場合にのみ責任を負う)、否定説(故意又は重過失の場合にも責任を負わない)の三説の対立がある※20 。下級審の場合は、公務員個人も有責とする判例も存在したが※21 、最高裁は、一貫して否定説をとっている※22
(3)最高裁も墨守する否定説は、その理由として、規定の体裁(「国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる」)のほか、国又は公共団体に十分な資力がある以上、資力の乏しい公務員個人への請求を認める必要はないこと(被害者の報復感情の満足は損害賠償制度の目的ではない。)、公務員個人への請求を認めると公務員の職務執行が萎縮し行政の停滞をもたらすおそれがあること、軽過失の場合に直接請求を認めることは国家賠償法1条2項の求償権の規定と齟齬すること、国家賠償法附則において従前認められていた登記官吏、公証人、戸籍吏等の個人責任に関する規定が削除されたこと等を挙げる※23
本来、加害公務員個人が負うべき損害賠償責任を国や公共団体が代わって責任を負ったに過ぎない。そして、国賠法1条2項により、「公務員に故意又は重大な過失があったときには、国又は公共団体は、その公務員に対して求償権を有する」と定められているが、国又は公共団体が、その公務員に対して求償権の行使に基づく訴訟についての判例も皆無の状況にあると指摘されていたが ※24、最近の二例をご教示していただいた※25
しかし、納税をしている国民又は住民からすると、本来、加害公務員個人が負うべき損害賠償責任を国民や住民の犠牲において、加害公務員を庇護する理由などあり得ないはずである。国又は公共団体が資力を有するか否かは、考慮の範囲外であり、考慮したとしても、むしろ、否定的となるはずである。むしろ求償権を行使する事が国民と住民の付託に答えることであると言わなければならない。国や公共団体による求償権の行使は、義務的であるべきであり、公務員が職務の執行において過度に慎重になって萎縮し積極的な職務が望めなくなる恐れがあるなどという理由は、詭弁に過ぎない。全ての冤罪事件においては、警察が証拠を作り上げ無辜の民を犯人に仕立て上げているのである。志布志事件では、所長捜査2課の幹部が犯罪自体を作り上げることを署員に指示していたことも認定された。筆者が、調査した冤罪事件では、加害公務員の組織的な行為により、公務員の故意や過失ではなく悪意により無辜の民が犯人とされてきたのである※26。最悪のケースは、それで死刑確定、そして吊るされるのである。このように犯罪を作り出したり、犯人に仕立て上げたりする公務員を何故、国税や住民税で救済しなければならないというのであるか。  
最高裁と通説が採用してきた否定説は、速やかに改められなければならない。

6.本件国賠訴訟から読み取れるわが国の司法の在り方について

(1)本件は、冤罪再審無罪国賠訴訟が抱える問題を、むしろ浮き彫りにした。本稿のサブタイトルとして「冤罪被害者は、二度の責め苦を負わされる」として記載したことに言及して、本稿を終えることとする。筆者は、東北大学の大学院生の頃、研究室から大学の北門から出ると南町、そこにある地元のデパートの前で一人の老女が雪の降る日も雨の日もザルを置いて義捐金を募っていたことを今でもはっきり覚えている。その老女こそ、1955年宮城県志田郡松山町で起きた松山事件の犯人とされたAさんのお母さんである。Aさん(故人)は強盗殺人、放火の疑いで逮捕され、1960年最高裁で死刑判決が確定した。1979年再審が開始し、証拠とされた掛け布団の血痕が警察による捏造と断ぜられ、1984年無罪となり、28年以上身柄を拘束され、そのうち約23年は死刑囚として何時刑が執行されるかという恐怖に晒されながらの獄中生活、死の淵からようやく、逃れることができた。そして、Aさんは国賠訴訟を提起した。刑事補償はなされたが、2001年国賠訴訟は、最高裁で敗訴が確定した。また、出獄後、年金を受給することもできず、生活保護者として生活することを余儀なくされたのである。
(2)国賠請求をしたが敗訴した冤罪被害者は、Aさん、免田事件のBさんだけでない。本件におけるXさんも事情は同様の結果となった。冤罪被害者でも、国家賠償が認められていない。国民は、このことを知り得ているのだろうか。厚労省のC元局長は、164日、約半年間の勾留で刑事補償200万円、国家賠償として3,770万円で決着した。このニュースを聞くに及び、他の冤罪被害者も、相応の国家賠償を受け取っていると誤解しているかもしれない。
しかし、真実は、ほとんどの冤罪被害者が国家賠償を認められていないということである。冤罪被害者は、死の淵や苛酷な刑務所暮らしから辛うじて逃れることができたとしても、家族は散在し離反し、裁判費用のために刑事賠償金は消散する。そして、とどのつまりは、生活保護者として孤独に生きて行かなければならない。冤罪被害者は、無辜でありながら、囚人として、そして、そこから解放されたとしても、国家賠償が認められることもなく、身寄りのない生活保護者として生きていかなければならないという二度の責め苦を負わされるのである。
(3)運がよい冤罪被害者は、無実を勝ち取ることができたとしても、冤罪者の多くが国(警察・検察・裁判所)に対して国家賠償を請求してきたとしても、国は冤罪作りの責任から逃げ切ってきた。最高裁と学説は、そのための理論として、裁判官には、戦前に存在した国家無答責に代わり違法性限定説による事実上の無答責を※27 、検察官や警察官には職務行為基準説と理由欠如説を、そして、加害公務員には、求償権を行使せず、個人責任の否定説が用意され続けているのである。
さらに、冤罪を作り出した加害公務員の処分もほとんど行われずじまいである※28。本件で、Xさんに接見した弁護士と弁護会の対応にも一言しなければならない。接見した弁護士にXさんは、否認したという※29。ところが、その直後、Xさんは、自白に転じている。ここには、然るべき弁護活動がなされていたのであろうかという疑念も生ずる。しかし、この国選弁護人の所属する富山弁護士会は、「冤罪を生んだ責任の99.9%は捜査機関に」あるとして、弁護士の処分や注意を行わないとした※30
冤罪を作り出したにもかかわらず、全ての法曹と警察の誰一人として責任をとらない、国家も冤罪犠牲者に救済をあたえない。現今の日本には、このような司法の姿が定着している。

(掲載日 2015年7月13日)

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